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2017/12/06

【歩き旅】大山街道 Day4その② 〜下末吉台地を楽しむ〜



JR南武線大山街道踏切を渡る。開かずの踏切として悪名高い踏切で、通勤ラッシュの時間帯には開いている時間よりも閉じている時間のほうが長いというから驚きである。
そんなこの踏切も、道路計画の見直しでアンダーパス化することが検討されている。


溝の口駅南口へと伸びる通りとの交差点に片町庚申塔が置かれている。文化三年(1806年)建立の庚申塔は風化と損傷が激しく、ちょうどビンの裏側辺りにある三猿はほとんど認識できない状態となっている。
側面に「西大山道 東江戸道 南加奈川道」と刻まれており、道標の役割も果たしている。


分岐を細い道へと進む。こちらは「ねもじり坂」と呼ばれ、かつては「根もちり坂」と書いていたように道に木の根が張っていたという。今では立派な舗装路だが、明治中頃までは狭くて急な道で難所として知られていた。
このあたりは下末吉台地と呼ばれる台地で、台地を縫うように河川が流れているため坂が多いエリアである。


ねもじり坂を上りきると立派な地蔵堂がある。明鏡寺の飛び地境内に建てられた笹の原子育て地蔵堂である。西国三十三観音巡礼に訪れた巡礼者が子供が授かったお礼として建立したのが始まりだという。
ちなみに写真は昭和19年(1944年)の久本空襲の犠牲者を弔うために建てられた地蔵。


弘化4年(1847年)建立の秩父坂東西国供養塔には如意輪観音半跏像が置かれている。この後ろ側が地蔵堂である。お堂や祠は平成5年(1993年)に改修されたため非常に綺麗な佇まいとなっている。


東急田園都市線の梶ヶ谷駅入口を通過して細い道を進むと、アパートの駐車場の一角に祠と道標がある。祠の中には宝暦12年(1762年)銘の庚申塔が建っており、側面には「右大山道 左やうがすじ道」と刻まれているという。「やうがすじ道」は用賀筋道を指す。


庚申塔の脇には道標が置かれており、「西 荏田方面 東 二子橋方面」とある。摩耗は激しいが昭和の御大典を記念して昭和3年に住民の手で建てられたものだという。


厚木街道こと国道246号を末長歩道橋で越える。宮崎中学校入口の交差点の次で左折したところにあるのが「宮崎大塚古墳」である。住宅街の民家の敷地内にあるが、れっきとした方墳であるという。別の道沿いに古墳に上る階段があったようだが見逃してしまった。
梶ケ谷周辺には馬絹古墳(7世紀後半頃)、西福寺古墳(6世紀中後半頃)などが発掘されており、古代より重要な土地であったことがわかる。


宮崎台を進み、庚申坂を上る。近くに庚申堂があったことに由来する坂名だが、そもそもの旧道は宮崎台・宮崎団地の開発に伴って消失してしまっている。台地を八幡坂で下ると、東急田園都市線・宮前平駅前に出てくる。
その駅前に小台八幡神社が鎮座している。


神社の階段前に小台庚申塔が鎮座している。正徳4年(1714年)建立の庚申塔で青面金剛の足元に三猿が浮かぶ。


かつては石段の中央が土橋村と馬絹村の堺にあり、境内は両村の共有地であった。平成7年(1995年)に社殿が再建されており、美しい建築美を見せてくれる。

ここから鷺沼駅近くまで、小台坂を下り、先程とは異なる八幡坂を下りながら旧道が複雑な線形を描く。

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